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2024.8.5

おせち料理の歴史と由来は?

おせち料理の歴史と由来は?

新春を迎えるにあたって、欠かすことのできない「おせち料理」。

すべて手作りで用意しなければならなかった昔とは異なり、現在では百貨店やコンビニエンスストア、ネット通販などで、手軽に購入できるようになりました。近年では日本食ブームによって、海外からの注文も増えているのだとか。
おせち料理を楽しむ方が多い今だからこそ、少しでも知識を持っておきたいもの。

今回は、古くから受け継がれてきたおせち料理の歴史や由来をご紹介いたします。
ぜひ最後まで、楽しみながら読んでみてくださいね。

おせち料理はいつから始まった?

おせち料理はいつから始まった?

おせち料理の起源については諸説ありますが、一般的には平安時代が有力だといわれています。

現代からさかのぼること約1000年前。
宮中では、元旦や五節句(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)の節目に、無事収穫できた作物への感謝を込めて神様にお供えをして、「節会(せちえ)」という宴を開いていました。
その節会で振舞われていた料理が、現在のおせち料理にあたり、当時は「御節供(おせちく)」と呼ばれていたそうです。

「おせち料理=正月に出される料理」という変化を遂げたのは、江戸時代後期に入ってからのこと。
宮中で行われていた行事が民衆の間にも広がり、徐々に生活の中に取り入れられていきます。

しかし、宮中とは異なり、五節供の度に豪華な料理を用意するのは、簡単なことではありません。
そのため、節日の中でも最も重要であるとみなされていた正月に料理を用意するようになり、それが現在の「おせち料理」として受け継がれています。

なぜ節日の中で最も重要なのは正月?

なぜ節日の中で最も重要なのは正月?

本来、お正月とは、歳神様をお迎えする行事であり1月の別名です。

「歳神様とはどんな神様なのか?」これには、ご先祖様・農作物の神様・自然に宿る神々の集合体・・・などさまざまな説がありますが、一年の始まりであるお正月に歳神様という形で現れ、幸福を授けてくれる素敵な神様といわれています。

昔は土地ごとに採れたものを歳神様にお供えしていました。
収穫物は人々が生きていくためには必要不可欠。
だからこそ、歳神様をお迎えする「正月」が最も重要な日とされ、その年の豊作や家族の健康を祈る大切な行事となったようです。

おせち料理の由来

前述のように、「御節供(おせちく)」と呼ばれていた節目を飾る料理が略されて「おせち」といわれるようになりました。
おせち料理を漢字で「御節料理」と書くと、わかりやすいのではないでしょうか。
「おせち料理」と一般的に呼ばれるようになったのは、第二次世界大戦が終わってからといわれています。
御節供の歴史は古いものの、呼び名としてはまだ100年も経っていないなんて意外ですよね。

昔のおせち料理ってどんなもの?

貴族が築き、庶民の間で花開いた「おせち文化」。

しかし、江戸時代の庶民の間では、おせち料理は「見る用」と「食べる用」の2種類を用意していたことは、あまり知られていないのではないでしょうか。

見る用:食積(くいつみ) ※関西では、蓬莱(ほうらい)

松竹梅や裏白、ゆずり葉、昆布などの周りに伊勢海老、橙(だいだい)、勝栗、炒り米などを乗せたもの。

食べる用:黒豆などの煮物や田作り(ごまめ)、数の子などを重箱に詰めたもの

食べる用:黒豆などの煮物や田作り(ごまめ)、数の子などを重箱に詰めたもの

では、なぜ現代では食べる用のおせちだけが残っているのでしょうか?

実は、見る用の「食積」は明治時代に姿を消してしまったようです。
江戸時代、当時の重箱は汁気のあるものを入れることができなかったようですが、重箱の材質の改良とともに、さまざまな料理を入れることができるようになったため、徐々に「見る用+食べる用」を分ける必要がなくなったことが主な原因であると考えられます。

つまり、見る用の食積がなくなったというよりも、食積も食べるようになり、明治時代以降は重箱に入れたものが「おせち」として定着していったのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?
現代では身近なものとなっている「おせち料理」の歴史や由来を知ると、より興味が湧いたという方も多いのではないでしょうか。昔から大切にされてきたお正月を彩る「おせち料理」。
お好みのおせち料理とともに、素敵なお正月をお迎えくださいね。 おせち特集はこちら

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